開基は多田祐全、摂津多田(現在の川西市)の生まれ、
多田(源)満仲の子孫、源家菩提の為、出家して天台宗の学僧となる。
後に蓮如上人の教化を受け浄土真宗に帰依し蓮如上人の直弟子となる。
文明十六年(一四八四年)蓮如上人の命により、播磨の国英賀に来たり、
英賀城三木家の帰依を受け道場を開く。
その道場を後の人は「文明道場」と呼ぶ。
道場は城の西北・人丸町(現在は夢前川の河川敷)に在り、文明年間より天正年間まで英賀に在住した。
文明道場が出来て後、播磨の国に浄土真宗が広まり、文明道場は播磨浄土真宗の始点とされている。
文明道場は後に圓光寺と号し、天正六年(一五七八年)豊臣秀吉の命により龍野に境内を賜る。
江戸時代に御坊に列せられ龍野(玉川)御坊と称し、播磨六坊の一つとして現在に至っている。