兵庫県 たつの市 龍野御坊 圓光寺
龍野御坊 圓光寺
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勤行の心構え
勤行のことを(おつとめ)といいますが、朝夕お内仏へおまいりする事です。そのとき≪正信偈≫や≪御和讃≫などをとなえますが、それは宗祖親鸞聖人のお言葉で、阿弥陀如来の徳を讃える(うた)ですから、けっして加持祈祷などの呪文ではありません。私達は、毎日繰りかえし勤行することによって、そのお言葉をとおして仏様の教えをうけられるのです。自らとなえながら、自らが聞かせていただくというこころもちでつとめることが大切です。仏様や亡き人びとが私達に何かを願いつづけておられるとしたら、お内仏で静かにその願いを聞き、それにこたえて(つとめ行う)のが朝夕の勤行なのです。忙しい世の中、静かな気持ちと正しい姿勢で、家族そろっておつとめするならそこに思いがけない親子の出会いもひらかれます。ーーー門徒の仏事より

2012年12月06日
 
先祖を大事にするとは
先祖を偲んで読経することも然る事ですが、先祖とはどのような存在なのでしょう。先祖とは私の父母、その父母と遡っていくと何十万、何百万、何千万、何億の人々が先祖といえます。その先祖が一人もかけることなく、死に変わり生まれ変わりして、今の自分がいるのです。という事は先祖を大事にするとは、今の自分がしっかりする事なのです。阿弥陀様の光に導かれてしっかり生きること、それが先祖を大事にすることなのです。

2012年08月21日
 
読経の意味
法事などの場でなされる読経は、けっして死者のためだけでなく,表白文に「有縁のひとびと相よりつどい、亡き人を偲びつつ如来のみおしえに遇いたてまつる」とあるように、ともに仏法に照らされた真実の人生を歩みたいと決意するのが読経の場が開かれる意味です。読経の間は世間話をせず静かに拝聴し、後で法話等をお願いし、皆で聴聞しましょう。
そしてそこでお経が読まれるということは、読経している者もその声を通して、またその座に集まる人びともともに、仏陀釈尊の真実のみ教えに遇えると言う意味があります。
仏陀釈尊は「法をきくものこそ、われを見る」といわれますが、声を通して聞くという事は、ことばを理解するだけでなく、そこにかよってくる真実を感じ受けるということです。仏に出会う道、仏と一つの世界に生きる道が開かれるのです。ーーー門徒の仏事より

2012年08月05日
 
門徒とは
門徒とは『一門の徒輩」つまり一つの宗門の仲間という意味です。この門徒という言葉が真宗の在家信者を指すようになったのは蓮如上人の時代です。以来、門徒、門徒衆、といえば真宗門徒、門徒寺といえば真宗寺院を指すようになりました。その門徒の立場を示すものとして「御同朋、御同行」という言葉があります。念仏者は世俗の地位や男女、年齢など、あらゆる違いを超えて一切が平等であり、友であるという意味です。仏様に救われることを喜ぶ人は、全世界全て兄弟、姉妹であるというのが門徒なのです。ーーー門徒もの知り帳より

2012年08月02日
 
掲示伝道について
住職が大学、大学院で講演会や勉強会に出席して記帳したノートを基に英訳を付して公開しています。どうぞご高覧下さい。

2011年10月13日
 

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